パキスタン、アフガニスタン、そして・・・


by koidelahore
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ドバイにはインド・パキスタン系の人口が非常に多い。したがって、新聞の紙面もそれなりのスペースを割いている。たとえばガルフ・ニュースは19頁と20頁がインドで、21頁がパキスタンだ。

眺めていたら、7月13日のパキスタン面にこんなのがあった。
Housekeeper hailed as a hero for returning cash

なんでもギルギット・セレナホテルの清掃員が、宿泊客が忘れていったお金を着服せずに届け出たことが、美談としてハイライトされている。

5万ドル(約450万円)だそうである。清掃員の年収は1100ディルハム相当と出ているから月給2000円。たしかに、年収の250倍程の金額か・・・

ま、目がくらんでも不思議ではないけれども、パキスタンの場合けっこう届け出てくれるような気もする。平凡な庶民の良心ですよ。あとが恐いしね。だって、ネコババしても簡単にバレるし、蓄電するのもけっこう面倒だ。

パンジャーブの州総督サルマーン・ターシールが、その清掃員を「ナショナル・ヒーロー」と称賛したというくだりもある。総督が属する人民党のボス、すなわちパキスタンのザルダーリー現大統領はミスター10%と呼ばれた着服常習犯であるので、これはかなり意味深だ。政治家と庶民感覚の乖離をよくあらわすリアクションでもある。普通の人なら盗らないのが当たり前、政治家は盗るのが当たり前?

で、5万ドルを忘れるようなマヌケが誰かと思ったら「ジャパニーズNGOワーカー」とあるではないか!情けないけれど、やっぱりね、という感じか。ほかをググってみるとその彼、who works for the Japan International Co-operation Agencyとも書いてある。おいおい、気をつけてくれよ。税金なんだから。

美談といえないような美談の裏には、脇の甘い日本人がおりました。
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# by koidelahore | 2010-07-14 15:36 | Small Things

雑感・・

今日はドバイで書いている。

この前、最後の投稿が2009年7月15日だからもう一年も前のことか。

この間の足跡、といっても大したことはないのだが、
4月に日本に戻り、5月はドバイに。6月は日本で、10日ほど前、約2年ぶりにパキスタンに降り立った。イスラマバードに1週間を過ごし、そしてまたドバイ。

そういえばカーブルでは色々あった。

10月にUN関連のゲストハウスがターリバーンの襲撃に遭い、そのあおりで一時退避に。戻ったところで、それまで住んでいた宿舎もヒットリストにあった−−嘘かまことかーーということで、別のホテルに移り半軟禁生活。その後まもなく、ホテルの真裏に立つショッピングセンターに、襲撃者が立てこもり、国軍らと銃撃戦の末炎上。職場のビルの真横で車が自爆するおまけつきだった。

治安ということではアフガンとパキスタンがなにか同列に語られているようだけれども、やはり危険度には量的・質的にかなり大きなギャップがあると思う。それは今回イスラマを再訪して感じたことだ。アフガンはまだまだ「戦闘地域」。部族地域やハイバル・パシュトゥーンフワ州(元NWFP)の一部を除けば、パキスタンはまだまだ「普通」の国だ。

ということで、しばらくは充電です。
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# by koidelahore | 2010-07-12 21:37 | Zindagi/Life
インド・パキスタンの詩人であるが、アフガニスタンでも人気がありよく読まれているという詩人がいる。要はペルシア語で創作をおこなったインドの詩人ということなのだが、自分がもともとウルドゥー文学を専攻したということを知ると必ず話題にのぼる。

特に愛好されているのはベーディル(1642–1720)という詩人のようだ。ベーディルはウルドゥー文学史ではガーリブやイクバールのペルシア語詩に影響を与えた詩人という程度の扱いなのであるが、ここではインドのペルシア語詩人として最初に名前が挙がる。ベーディル自身はビハールのアズィーマーバードの生まれであり、一族はアフガニスタン北東部バダフシャーンの出身である(カーブル近郊という説もある)。詳細はわからないが1980年代、アフガニスタンの文壇ではベーディル再評価の動きがあったということだ。

ちなみに、アフガニスタンにおいてベーディルはベーディル・デフラヴィーと呼ばれる。デリーのベーディルという意味である。ウルドゥー文学史ではただのベーディルとして習ったから、そういわれると一瞬わからない。アフガニスタンの視点ではあくまで「デリーの人ベーディル」というのは当然だろう。聞くところによれば、彼の詩の難解な言葉使いとインド的な発想がたまらなくよいのだそうである。なお、ベーディルはイランの読みではビーデルとなる。

もう1人よく知られているのはイクバールである。ムハンマド・イクバールはパキスタンでは誰一人知らないものはいない詩人・哲学者であり、インド亜大陸におけるムスリム国家パキスタンというコンセプトのバックボーンでもある。普通「大学者」という意味の敬称アッラーマーをかぶせ、アッラーマー・イクバールといわれる。

ということでイクバール・ラーホーリー(ラーホーリーはラホールのという意味)を知っているかと聞かれると、これも一瞬誰のことかと思うわけである。イン・パではイクバールにラーホーリーをつけることはあまりないからだ。詩風という点ではイクバールもベーディルに影響を受けているだけあって、彼のペルシア詩も大層難解である。結局そういうところがアフガン人に受けるのだろう。

しかし同じくベーディルの影響を受け、同様に難解なガーリブのペルシア語詩はそれほど評価されていないようにも思えるが、これはなぜなのか。ガーリブについてアフガンの文学愛好者に聞くと「ああ知ってるよ」という程度の反応が多い。

ガーリブのように酒とギャンブルにおぼれ借金まみれになるような詩人は好まれないのかとも思ったが、使用した言語に起因する可能性もありうるだろう。伝わるところによると、ガーリブという人は自分のペルシア語に大層自信があったらしく、最新のペルシア語の知識をもとに他の詩人と韻律の論争をしたという逸話もある。おそらくガーリブのペルシア語の発音は現代イランのファールスィーに近かったのではなかろうか。

他方、ベーディルのペルシア語にはバダフシャーンの影響が強く、それは現代ダリー語の読み方に近かったであろう。そもそも、インドで通用していたペルシア語、サブケ・ヒンディーも、むしろダリー語に近いペルシア語の古典的な読みをとっていたことだろう。

ベーディルの墓はデリーのマトゥラー・ロード、プラーナーキラーの近くにあるそうなので今度是非探してみたい。
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# by koidelahore | 2009-07-16 19:38 | Afghanistan
7月13日付のダリー語紙『ハシュト・ソブ』に、インドで神秘主義詩人ルーミーの生涯を題材にした映画を撮るという記事が出ていた。監督はあの名作『ウムラーオ・ジャーン』(1981)のムザッファル・アリーである。この件は2008年にも情報があったのだが、今度は2500万ドルの予算でカタールとの共同制作を行うとのこと。

モーラーナー・ジャラールッディーン・ルーミー(1207-1273)は、バルフ(現アフガニスタンのバルフ州)出身だが、モンゴルの襲来を避けて西に移住し、最後には小アジア(現在のトルコ)のコンヤに落ち着いた。

小アジアはアラビア語で「ルーム」であるので、ルーミーと呼ばれる。ルームがローマに由来することはいうまでもない。モーラーナー(師の意味)のトルコ語読みメブラナを冠した「メブラナ・ルーミー」という名前もよく知られているはずだ。

トルコのコンヤにはルーミーの廟があり、衣鉢を継ぐメヴラナ教団の本拠がある。回るスーフィーとして有名な教団だ。日本にもたびたび公演をおこなっている。余談になるが、コンヤにはもう20年以上も前に行った。1988年の夏、コンヤの街中でパキスタンのズィアーウルハク大統領の事故死の報を聞いたことを覚えている。

ところでルーミーは、アフガニスタンでも国を代表する文化人として認識されている。ただしこちらでは「ルーミー」とはいわない。バルフ出身なのでバルヒー、あるいはモーラーナーという呼称が通例である。

ルーミーが生まれたといわれるバルフの町は滅亡し、現在では小さな町があるに過ぎない。そのかわり、東隣のマザーレ・シャリーフの町が繁栄している。

マザーレ・シャリーフは短くマザールと呼ばれるが、マザールの町の目抜き通りにはバルヒーすなわちルーミーの絵がいたるところに掲げられている。モーラーナーは地元の誇りである。

ということでこの映画、製作サイドがふらついているような気もするのだが、なんとか完成までこぎつけてほしいものである。
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# by koidelahore | 2009-07-15 12:19 | Afghanistan

マザーレ・シャリーフ

念願のマザーレ・シャリーフ(略してマザール)に行ってきた。アフガニスタンの北辺バルフ州の州都である。

マザールは廟、シャリーフは高貴なという意味で、すなわち「高貴な廟」であるが、その名の所以は市内にある壮麗なブルーモスクである。これは第4代カリフ・アリーの廟であるといわれており、マザールはその門前町として栄えてきた。
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実は聖アリーの墓はもうひとつ存在する。イラクのナジャフである。伝承によれば、アリーの遺体は一旦ナジャフで埋葬されたのだが、敵の手で傷つけられることを恐れた一部の支援者によって密かに移されたということになっている。

マザールのあるバルフは、四方を険峻な山に囲まれたカーブルと異なりいたって開放的な土地柄だ。国連機から空港に降り立ったとき、どことなくほっとしたことを覚えている。南にみえる山並みはヒンドゥークシ山脈の北の端である。北には砂漠が広がり、その先にはアムダリア川が流れる。河を渡ればそこはもうウズベキスタンとタジキスタンだ。

さてマザールといえば、まずアフガン暦の正月ナウローズ(3月21日)の行事、ジャンダー・バーラーだろう。これはブルーモスクの境内でおこなわれる。黒いジャンダー(旗)のついた長いさおをバーラー(上)に立てるだけなのであるが、相当な人が集まっていた。初詣で状態である。

ちなみにジャンダーはインド起源の単語である。イランでは使わない単語のように思われる。

ナウローズの物見遊山ができるわけでもなく、この様子は地元のテレビ放送で見たのだが、ジャンダー・バーラーの式典は地域の独自性を誇示するための政治ショーという趣だった。ホストはバルフ州の知事、そして賓客はアフガニスタン、イラン、タジキスタンというファールシー・スピーキング3カ国の外相である。

バルフ州は治安上も安定しており、経済的にも地の利を生かし物流のハブとして良好であると見られている。州知事の自信のあらわれということもできるだろう。

さて話題を戻してマザールといえば、神秘主義詩人のルーミーということになる。これはルーミーがバルフ出身だからだ。ちなみにルーミーではなくバルフ出身なのでバルヒー、あるいはモーラーナーといわないと通じない。

さらに円形のナーンが有名だ。これはウズベクのナーンなのである。小型ではあるがふんわりと焼きあがっているところが普通のアフガン・ナーンと異なる。またシールペーラーと呼ばれる菓子も有名だ。これはナッツやホシブドウを甘い乳で固めたものである。あとは主として男性が首に巻くアラチャという布もマザールが有名か。ただし最近はほとんどが中国製らしい。
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# by koidelahore | 2009-07-14 21:19 | Afghanistan
前にアフガニスタンの平等主義という話をした。外人も平等と書いたが、じつは本当は平等ではない。あまりにも外人外人しているとターリバーンの攻撃目標になったり、追剥ぎのお客さんになったりすることは請け合いだ。また、金を持っているということで嫉視の対象となり、仕事がしづらくなるという状況もある。

したがってロープロファイルを保ち、外国人という顔をしないということは重要な保身術であるともいえる。さいわい、アフガニスタンにはハザーラというモンゴロイド民族がいるので、見た目には区別がつかないという場合もあるだろう。

ただし行き過ぎると、これはさすがにつらい。

パキスタン時代と異なり、アフガニスタンでは個別の執務室というものは与えられていない。そもそもこの役所のビルは手狭であるということ、あまり個室文化というものがないということ、外人も特別扱いしないことなど、もろもろの理由がある。だから、計画局の副局長室の一角に机を置かせていただき間借りをしているわけである。

この副局長は実は相当にシニアな御大だ。ダーウードの共和政時代から共産時代・ソ連時代をへて、内戦時代・ターリバーン時代もかわらずこの役所に勤めてきた。ちなみに彼はタージクである。これまでの支配者の中では、意外にもパシュトゥーンのナジーブッラーが一番よかったそうだ。世が世ならば局長であってもおかしくないのだが、残念なことに英語もパソコンもできない。今はこういう時代であるので、いたしかたなく局長職を若手に譲りその部下に甘んじているというわけである。

しかしこういう彼であっても窓際族というわけではない。全国教育行政の統括が職務であるので、地方からはひっきりなしに陳情客がやってくる。やれ学校を開きたい、給料がもらえないなどなど、地方の有力者や教師、さらには議員などが5分おきにドヤドヤ入ってくる。

おのぼりさんにとっては、日本人のアドバイザーが同居しているとはつゆほども思わず、第一印象ではハザーラ人アシスタントと思うらしい。別になんと思われようとかまわないのだが、部屋に一人のときは大きな問題だ。普段は自分で雇っているアシスタントや雑用係がいるので大丈夫なのだが、往々にして誰もいないことがある。

このような状況では、担当者がいないということを自力で陳情者に納得させなくてはならない。機嫌を損ねると某副局長のところで無礼な扱いを受けたということにもなってしまう。

ということで、最初に覚えたダリー語は「副局長さんはいません」というフレーズだ。次いで「今日は戻りません」「すぐ戻ります」など。

「いつになるか知りません」というものもあるが、無責任感が漂うため陳情者に無用な刺激を与えることもある。「お前かわりにサインしろ」とせまられることもあるし、本気で怒り出す客もいる。

前には「お前の仕事はなんだ、言ってみろ」といって息巻いたターバン親父もいた。だから自分は日本人で、外国人のゲストであるのだから、そういうことはできないし、すると問題だからという話をしてようやく納得させるわけである。

「局長さんのところに行ってください」とかいって厄介払いするのも手なのだが、これはすなわちたらい回しにするということでもある。地方から出てくるだけでも大変なのはよくわかるので、多少慙愧の念は残る。

しかし南部のウルズガーン州くんだりから上京したダリー語のできない爺さんが来たりするともうお手上げだ。怪しげなパシュトー語で「サンゲ、ネシュタ、ネシュタ」など誤魔化すのが関の山である。実はかなりの確率でウルドゥー語が通じるのではあるが、難民として辛酸をなめた生活を思い出させてしまう場合もあるので要注意なのである。

まあダリー語会話上達の極意は必要に迫られてということだろう。
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# by koidelahore | 2009-05-30 17:04 | Afghanistan
似ているようで似ていないこの両国、双方の役所で働いて気がついた最大の違いのひとつは便所設置上のコンセプトかもしれない。

パキスタンは基本的に個室主義である。上級官僚にはそれぞれ一室が執務室として与えられており、横に付属する小部屋に電話番やお茶汲み、メッセンジャーボーイなどが押し込められている。これは植民地時代からの伝統と思われる。

ここでいう上級官僚とはグレード17~22の公務員を指し、Section Officer, Assistant Secretary, Deputy Secretary, Secretaryというように出世していく。ちなみにSecretaryは日本で言う「事務次官」相当であり、グレード22の公務員をあてるのが基本である。

すべての執務室にはバスルームが付属している。トイレ+シャワー、時にはバスタブつきである。石鹸やタオルは役所の消耗品費で購入しているものと思われる。清潔好きの官僚の場合は自宅から持ち込む場合もある。といっても多くの場合、自宅も官舎であって、基本的な経費も公費で落とせることから、自腹を切っていることにはならない。

用足し後にトイレット・ペーパーは使用しない。ローターと呼ばれる水差しあるいはハンドシャワーを活用する。まれに紙を置いてあるところもあるが、これは外国人が来ることを見越しているか、鼻紙代わりに利用しているかどちらかである。

一方中級以下の役人の執務室には個室トイレは付属していないことが多い。その場合には公衆トイレを利用することになる。水が出ないことも多く、清掃も一日一回なされればよいようである。水も出ず、清掃人も来ないとどうなるか、これはちょっと書くのもはばかられる。あんまりひどい場合には庁舎の塀の外で用を足すようなものもいる。なお、この場合、大小を問わず座って用を足す。塀のそばでうずくまっているからといって、具合が悪いのではと声をかけてはいけない。

ともあれ、パキスタン時代には一応外人ということで便所にはあまり困らなかった。基本的には専用トイレがあったし、なくてもエラい人の部屋のものを共有させてもらっていたからだ。

さてアフガニスタンの場合である。いまのところそれほど多くの事例を観察したわけではないが、今いる教育省の省庁ピルでは相当な高官にならないと専用トイレは無い。相当な高官とは大臣(ワズィール)類は副大臣(モイーン)のレベルである。実はこのレベルでも「専用」ではなくVIP用を共同で利用している。副大臣の下が局長(ライース)、そして副局長(モアーウィン)、課長(モディール)あたりまでが幹部職であるが、局長級からはもう部屋にトイレは付属していない。うちの局長などは一般職員用と同じものを使用している。

一般職員用の共同トイレであるが、もちろんそんなに状態が言い訳ではない。しかしパキスタンのものに比べれば比較的管理が行き届いているような気がする。しばしば詰まっているところを目撃するが、これが何日も放置されるということはない。

興味深いのは男性用の小用。いわゆる立って用を足すものだが、このとき斜めに立って用を足しているものが多い。横からの覗き見防止が目的と思われる。そもそも立ちションについては極めて抵抗感が強いようで、欧米の外国軍兵士が嫌われる理由としては、ところかまわず立って用を足すこともそのひとつと聞いた。大用の個室は数が少なく、致し方なく立ってことを行っているのだが、できれば使いたくないというのが本音だろう。ちなみに「郷に入りては郷にしたがえ」ということで、最近は自分も斜めに立っている。

ところで、アフガニスタンの小用器は常識的な高さに設置されているから、多少足が短くても安心だ。パキスタンの場合はとにかく高い。高すぎて届かない。理由もよくわからない。観察したところパキスタン人でも届かない者は多いようだ。そういうことも塀脇での座りションベンを助長しているのかもしれない。

アフガン教育省に話を戻すが、往生するのは茶用の水に便所の水道を使っていることだ。沸かしているから大丈夫だというのだが、標高1800メートルのカーブルでは沸点は100度に至らない。だいたい薬缶もカップも便所で洗っている。お茶の表面には必ず油が浮いているのだが、このほうの原因はよくわからない。

ということで、パキスタンとアフガニスタンの便所カルチャーに見る最大の違いは、役所文化におけるエリート主義の有無ということかもしれない。政治職である大臣と副大臣は別にして、局長もヒラも雑用係も同じ便所で用を足すという、これは一種の平等主義ということができるだろう。パシュトゥーン的な共同体内の平等主義と共産主義時代の画一主義の影響を見ることも可能かもしれない。もちろん、外人のアドバイザーも平等である。
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# by koidelahore | 2009-05-30 17:00 | Afghanistan