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パキスタンの頼母子講――コミティ
広辞苑によれば頼母子講(たのもしこう)とは「互助的な金融組合。組合員が一定の掛金をなし、一定の期日に抽籤または入札によって所定の金額を順次に組合員に融通する組織。鎌倉時代から行われた。無尽(むじん)。無尽講」である。

日本古来の庶民金融制度であり、貧困者を扶助・救済したり,飢饉・天災等不測の事態に備えたり,また,寺社に参詣し神仏を祭ったりするため,知人や親戚が寄り合い,金銭を集め,これを必要とする者に供与するというような形態の金融方式が存在していた。日本の頼母子講も完全になくなったわけではなく、地方によっては現在でも行われている。たとえば熊本県のある村では車検の費用捻出を目的とする頼母子講が行われているという事例もある。また、四国の徳島銀行のように、地域の頼母子講を母体とし、無尽会社、相互銀行、そして普通銀行と姿を変え存続していった例もある。

このような形態はコミュニティとしての、あるいは構成員間の社会的紐帯があってはじめて可能になる。ある種の社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)でもある。

頼母子講は、近代金融制度が浸透して誰もが銀行に口座を持ち、また銀行などを通じて融資を受けるようになると徐々に姿を消していくのだが、村や家族などの社会的紐帯が希薄になった結果、社会になじまなくなっていったということもできるかもしれない。

パキスタンでは頼母子講に類似した営みが今も健在である。それを「コミティ」という。「コミティ」は英語から来ている用語だが、この場合「○○委員会」のような文脈で訳されてしまうと誤訳になるだろう。完全に土着化したコンテクストで、例えば「ちょっとお金がないから人を集めてコミティするか」というニュアンスで用いられている。

コミティは生活の様々な場面で作られている。地区の人が集まって作る場合もあれば、職場のメンバーの場合もある。また、家族・一族がメンバーであることもあり、家族内の女性だけでコミティを作る場合もある。結局、コミティへの加入要件としては、その人の信頼性が確認できるか否かの一点のみであるという。地域的にはパキスタン全国に分布しているようである。

ここでは、事例としてラホールのムガルプーラ地区のあるコミティをあげようと思う。このコミティは2003年9月に開始された。メンバーは地区内の老若男女、計35人である。リーダーこそ特にいないが、最初にコミティをつくろうと手を上げた「いいだしっぺ」は存在する。このケースでは地区内のある商店主である。頼母子講でいうところの「親」にあたるだろう。

コミティは月に一回行われ、さらにメンバーが35人なのでコミティの期間は35ヵ月となる。掛金は一律2000ルピーであり、毎月、メンバーの一人に7万ルピーが支払われる。

パキスタンのコミティでは、頼母子講と同様、掛金を支払う相手は抽籤または入札できめられるが、ムガルプーラのコミティは抽籤方式である。抽籤のための集会は毎月15日に開かれる。(写真:くじ引きを仕切る「親」のおじさん)

抽籤では、2つの洗面器が置かれ、1番目の洗面器にはメンバーの名前が書かれた紙切れが入っていた。また、2番目の洗面器には、当たり・はずれを決めるための紙切れが、名前の紙切れと同じ枚数だけ入れてある。当然ながら「当たり」の紙切れは一枚しかはいっていない。それぞれの箱には担当の係りがついている。1番目の洗面器の係りは紙切れを引いて名前を読み上げ、2番目の洗面器の係りは「当たり」「はずれ」の紙を引いて結果を読み上げる。この繰り返しが「当たり」が出るまで続けられる。「当たり」が出てしまった後、残りの紙切れが確認され、抽籤は完了する。写真では、2枚の紙切れが写っている、左側が当選者の名前(ムハンマド・アミーンおじさん)、右側の紙切れには、当選籤であることを示す「幸運なりし、本日の王様」という文句が書かれている。

月々の掛金は、当月の22日までに拠出、抽籤での当選者への支払いは毎月28日になされる。なお、抽籤に当選し支払いを受けられるのは、コミティの全期間を通じて一回のみであり、すでに当たった者は次回以降の抽籤には参加できない。

掛金を当月の22日までに支払えなかった場合、一日あたり50ルピーの罰金を払わなければならないが、これまでにそのような例はないとのことである。万が一、罰金がたまった場合には、最終のコミティ(35カ月目)に、食事をしたりするために使われることになっている。

コミティ開設の経緯はさまざまである。商売で急にまとまった金額が必要になったとき。あるいは娘の結婚のためダウリーを支払わなければならないとき。出稼ぎや留学のための支度金。オートバイや車を購入する、などなど。このムガルプーラの場合は、「親」である商店主に急にまとまった金額が必要になり、地区の人に声かけてコミティを始めた、というのが開始の経緯である。「親」は最初の支払い分を手にすることになるが、その後残りの期間に掛金を掛け続けることによって借金を返済する。

コミティのシステムは、期間の最初のほうに支払いを受けるものにとっては「融資」であり、最後のほうに支払いを受ける人にとっては「貯蓄」として機能するという見方もできる。最初に支払いを受け、その後返済を続けると思うとうんざりするかもしれないが、ここのケースではコミティを通じての融資には利息が付かない。銀行から借金するよりも分はよいのである。また、マイクロ・クレジットを別にすればパキスタンの銀行は庶民には簡単に融資を行わないので、コミティを通じて資金を調達するメリットは大きい。

「貯蓄」ということで考えれば、仮に銀行に預金しておけば利息が付いたかもしれないお金を、無利子でコミティに預けることで損をしているという見方もできる。しかし、低所得者や非識字者が自分名義の銀行口座を開設することは実質上困難である。そもそも銀行システムに対する信頼性が低いことから頑なに口座を開かない人々もいる。さらに、イスラーム的見地から、銀行に預金して「利子」がつくことを嫌う人々も存在する。コミティはこのような庶民の貯蓄ニーズにも対応しているといえる。そもそも、コミティが社会的なつながりの上に作られているということからすれば、いうなれば「おつきあい」で参加して掛金を払い続け、無形の社会的クレジット「イッザト(名誉)」を得るということが「利息」なのかもしれない。

ところで、以上ムガルプーラの例は単純な抽籤方式だった。しかし、この方式には本当に必要なときに支払いを受けられるとは限らないという欠点があり、それをカバーするのが「抽籤プラス談合」方式である。この場合も基本は抽籤なのだが、話し合いによってその時点でより資金を必要としているメンバーに当たり籤を譲るというものである。

さらに、より金融的な要素を持つコミティとして入札方式を取るものもある。やり方にはバリエーションがあるようだが、基本的には次のようなことが行われる。例えば、メンバー10人で掛金1万ルピー、総額10万ルピーが掛けられるような場合。コミティではその10万ルピーをいくらで応札するかという入札が行われ、一番低い金額を提示したものが応札金額で支払いを受ける。仮に9万ルピーで支払いがなされるという場合、差額の1万ルピーは残りのメンバー間で分配される。つまり一種の利子配当を受けるわけである。このような営利性の強いコミティは、主としてビジネス・コミュニティの間に存在するが、イスラーム的な無利子にこだわる人々からは忌諱されている。

以上、パキスタンのコミティを簡単に紹介したが、頼母子講的な庶民金融の事例はパキスタンにとどまらない。例えば、ブラジルには「コンソルシオ」というものがあり、頻繁に活用されている。ある報告によれば、某日系ディーラーが年間に販売した50万台のオートバイのうち、約半数の25万台はこのコンソルシオを通じて購入されたとのことである。コンソルシオは、いわばコミュニティ・ベースの金融システムとして定着している。

途上国の社会開発において鍵を握るのはコミュニティであるといわれる。パキスタンにおいてもその重要性は変わらないものの、行政、ドナー、NGOなど開発する側からのコミュニティへのアプローチはこの国ではどういうわけかあまり効果をあげていない。

原因としてよく言われるのは、パキスタンではコミュニティが「育っていない」「脆弱である」というようなものである。しかし頼母子講「コミティ」のような事例を目にすると必ずしもそうとは言い切れない。このようなインフォーマルな社会制度は強力な紐帯があって可能になるものである。「育っていない」のはむしろ援助する側のほうである。

コミュニティというものの認識がずれている可能性もあるだろう。あるいは、政府や援助機関など力のあるものがアプローチしようとすると巧みに姿をくらまして逃げていく性質のものなのかもしれない。「コミティ」への参加要件の最大公約数は信頼という絆であるが、援助する側はその資格を得られていないということなのだろうか。
by koidelahore | 2004-08-22 15:14 | Articles
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