昨夜も月は見えなかったが、結局9月14日がラマザーン月第1日ということになったようである。特筆すべきは、今年は北西辺境州も同時にラマザーン入りしたことである。パキスタン全土で一緒に断食が始まるのは何年ぶりだろうか。
ラマザーンが始まり、みなどこか楽しそうである。われわれは断食というと苦行を連想するが、ここではあまりそういう感じは無い。日没後、一斉に口にするイフターリー。毎晩モスクに通っての勤行(タラーヴィー)。むしろ、普段おろそかにされている連帯感が全面に出てくる。僕はこの時期のイスラーム教徒が一番好きだ。
政争も一段落というか、帰国を試みたナワーズ・シャリーフ元首相をサウジに追放し当面の山は越したという感じである。とはいえ、この追放劇の値段は後々高く付くことだろう。だいたい、最高裁がいいといったものを実行しなかったのだから、立派な不法行為である。本人の意志に反してサウジに連れて行ったわけで、誘拐罪も成立する。受け入れたサウジ政府の評判もボロボロだ。内政干渉プラス誘拐幇助である。
ムシャッラフ側も、追放した場合の法的問題は当然わかっていたのだろうが、それでもあえてやらざるを得なかった。相当の手詰まりである。
ムシャッラフが軍服のまま合法的に再選されるためには二つの方法がある。一つは最高裁が認めること。もう一つは議会が憲法を改正すること。
最高裁との戦いは政府の負けであったので、第1の方法はもはや不可能である。したがって、改憲オプションしか方法が無いが、そのためには議会の3分の2の賛成が必要となる。これは現与党に野党の一部を引き込まない限り出来ない相談で、だからムシャッラフはベーナズィールと取引を行い、人民党を引き込もうとしているわけである。
ただしベーナズィール側としては、ムシャッラフが軍服を脱ぐことが譲れない条件であり、これはなかなか認められないだろう。ムシャッラフは軍人でなければただの人である。
現議会での改憲が困難な場合、解散して3分の2の多数派を作るという方法もあるが、その場合には相当の投票操作が必要になり、不正選挙で国内が混乱、国際的なサポートを失って政権崩壊という可能性もある。こちらのリクスはかなり高い。
また人民党との取引をすすめることでメンツをつぶされ恐慌をきたした与党は、あの手この手で揺さぶりをかけている。昨日も陸軍のエリート部隊が爆弾テロにあい死傷者を出している。潰されたラール・マスジッドの残党や、南ワズィーリスターンの親ターリバーン部族との関連が考えられるが、現与党の一部が糸を引いている可能性さえある。
ということで、ラマザーン明けまで状況はどう動くであろうか。